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読書亡羊

気ままに読書、気ままな読書日記

安田浩一『ネットと愛国』 (2012)

右往左往

 「あの人たちだって、楽しくてしかたないって人生を送ってるわけじゃないんだろ?そりゃあ腹も立つけど、なんだか痛々しくて、少なくとも幸せそうに見えないなあ」

 在特会という過激なレイシスト集団がネット上で話題を集めだしたのは、2007年か8年頃だったのではないかと記憶している。彼らの抗議する姿をビデオに納め、それをYoutube上に頻繁にupし始めたことで瞬く間に有名な存在になっていった。私が彼らの動画をはじめてみた時は、軽いめまいのような衝撃を受けたのを覚えている。それと同時に、保守と呼ばれる運動に言い知れない失望感を覚えた。

参考
在日特権を許さない市民の会 - Wikipedia

*保守思想の興隆(90年代後半)
 私の学生時分、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)という社会運動を目的とした組織が発足され注目を集めていた。96年に始まったこの活動は、戦後の歴史観を批判し、保守思想から歴史を見直すことを主張して、戦後の価値観そのものを転換することを試みていた。つくる会のこの活動は、いわゆる保守派の思想や主張が言論の第一線に躍り出る契機となり、保守思想が広く一般に普及するのに大きな役割を果たした。

 つくる会が発足した90年代半ばとは、若者の教育問題が深刻さを増して表面化した時代だった。援助交際という言葉が流行り、ヤマンバと呼ばれる絶望的に奇妙な姿をした若者があふれていてた。学級崩壊という言葉ができたのも、おおよそその頃であり、サカキバラ事件に象徴される若い世代の精神的な鬱屈がマスコミの話題をさらっていた。こうした「自己を見失った若者たち」を宮台とかいういい加減な社会学者が、「倫理も道徳もなく身軽に生きる新しい若者たちの登場」とか言って賞賛しているような頃だった。
 物質的な豊かさを生まれながらに享受していながら、その一方、価値や規範に対する意識が希薄化していく時代に生きる若者。見方によってはあらゆる不安や責任から解放された気楽な時代にも見えるが、こうした時代だからこそかえって自己を見失いやすい時代だったとも言える。つくる会の運動はそうした自己を見失いつつあった若者に一つの指針を与えていた。90年代後半に「日本人としての誇りを取り戻す」という運動が、少なくとも一部の若者の心をつかんでいたのは確かだ。

 80年代から90年代は、学校における反日的な歴史教育が全盛だったころで、この頃に学校教育を受けた世代は、自らの拠って来たるべき根拠を歴史から学ぶということをはじめから否定されていた。そして、生きることにおける指針というものを全く示せない社会に生きて、相対主義的な価値意識の中で事なかれ的に生きることが賢いとされるなかで育った。こうした軽薄な時代意識というものは、高度成長期以降、日本に薄く広く、しかし確実に共有されていたものだろう。

 しかし、そうした中でも「なんとなく」「かしこく」生きるということに非常な苛立ちを感じる人々がいたのも事実であり、つくる会から始まった保守派の市民運動は、自己同一性不安identity crisisを抱えていた一部の日本人に明確な答えを与えていたのである。自分が何者であるのか、この先日本はどこに向かおうとしているのか、少なくとも一部の人々はその答えを欲しており、保守主義の運動が盛り上がりを見せる中で、歴史の中にその答えを求めようとしていた。私もそのうちの一人だった。

*思想から運動へ(ゼロ年代半ば)
 この保守派の運動はまさに草の根と呼ぶべきものであって、多くの人々が組織や立場を超えて支持していた。日本人としての誇りを取り戻すという主張は、当時、個々人の日本人としての自覚を促す運動として捉えられていて、具体的な政治活動には結びついていなかった。そのため一種の精神運動のような様相を呈していた。
 しかし、こうした保守思想の盛り上がりを背景にして、それを政治的な運動に結び付けようとする動きもゼロ年代半ばを境に現れてくる。その代表的なものがチャンネル桜だろう。「行動する保守」を自認し、街中でのデモを呼びかけ、一般の人々を具体的な政治運動へと結びつける活動を展開していた。
 今までの精神的な自覚を呼びかけるだけの運動に飽き足らない人々が、多くこの「行動する保守」の中に参加していった。それとともに具体的な政治的、経済的主張が声高に叫びだされ始める。この時期の思想から行動へという保守運動の変化は、きわめて安易かつ安直に進展したとしか言い表しようがない。極めて急速で突然の変化だったという印象が私にはある。

 具体的な政治活動を行うのであれば、本来、まず自分の中に政治に対する問題意識があり、その問題と向き合う中で愛国的な感情が次第に芽生えていくのが健全な姿だろう。だがこの時期、まずはじめにナショナリズムを煽る感情的な高揚があり、その次に政治的な問題が発見され、その問題とともに「敵が作られていく」という歪な流れを辿る人々が保守運動の中から現れ始めていた。

 一部の直情的な感情を安易に政治的な主張に結びつけるのは極めて危険な行為だ。しかし、保守運動の流れが思想から具体的な政治へと変化していく中で「愛国心」というものが、なんら思想的、論理的な反省を欠いたまま具体的な政治的主張・要求に結び付けられていった。
 個々の具体的な政治的主張が、国民としての自覚を呼びかけるナショナリズムとしての運動に本当に適うものであるのかどうか、本来、慎重な検討が必要とされるはずだ。だが、それを全く欠落させたまま思想の飛躍がなされていた。日本人としての誇りは、在日及び外国人の排斥感情に、国益は、外国の脅威へと簡単にすり替わった。そして「国のため」といった大義名分が一度与えられると、その名目の下に自らの権益を守るためだけのさまざまな利己的、個人的な動機に基づいた主張が盛り込まれていくようになる。

ネトウヨの登場(2000年前後)
 こうした保守運動の変化の背景には、ネトウヨネット右翼の略)と呼ばれるネットを中心に右翼的言論を繰り返す人々の存在がある。2002年の日韓共催のワールドカップが一つの転機だったといわれる。この直後、『嫌韓流』という反韓感情を露骨に表現した著書が出版され一般の書店の店頭で何の躊躇もなく平気で販売された。これ以降、論理的な思考を欠いたままの剥き出しの差別感情を公に述べることが、社会的に容認されたかのような雰囲気を一部の人々に与えてしまったのである。こうした差別感情に根ざした政治的主張は、ネットのなかで拡大再生産され、ネトウヨと呼ばれる人々を生み出していく。そして、ゼロ年代半ばには、ネトウヨという言葉は完全に一般に定着していた。
 ネトウヨと呼ばれる彼らが主張したことというのがまさに、中韓を中心とした外国の脅威であり、在日の特権であった。彼らがもともと東アジアの国際関係や国内の少数民族に関する問題に興味があったとは到底思えない。日本が直面する政治的課題は他にも数限りなく存在する。それが、なぜ中韓と在日の問題だけが彼らにとっての最大の焦点になったのかといえば、結局、ナショナリズムの高揚の次に政治問題が発見されるという歪な思考の流れがあっただけなのだ。

 しかし、こうしたネトウヨたちはほとんど社会の表へと、つまりrealの世界へと出てこない。社会運動にはほとんど関わらないのが一般的だ。それは、ネトウヨの主体がかなり高齢、30代後半から40代くらいだからだと言われる。社会運動をやるには彼らは年を取り過ぎている。ネットで差別的な発言を繰り返して日常の憂さを晴らすのがせいぜいなのだ。
 だが、在特会に参加してしまうような一部の直情的な若者を焚きつけ生み出したのは、間違いなくネットの右翼的な言説だ。一部の若者が、こうしたネットの議論にやすやすと絡め取られ、何の思考的反省もなく人種差別的な思想を真に受けてしまった。彼らが、現実の社会運動へと実際に参加してしまう背景には、若者を取り巻く経済的な問題があったことは確かだろう。

 90年代から「失われた20年」と言われる長期化した経済不振が続き、産業の空洞化とデフレ経済が深刻化して、若者を取り巻く就職状況はまったく様変わりした。非正規雇用が一般化して、経済格差が歴然と現れてきていた。ネトウヨの言説は、こうした低辺層へと追い込まれた一部の若者の鬱屈した感情をうまく掬い上げたのである。

 ネトウヨの主張の背後にあったものとは、中韓及び在日勢力の脅威によっていかに自分たちの生活が脅かされているか、という被害者感情である。彼らはまずはじめにナショナリズムを煽る扇動的な言説にネットを通して触れ、その後政治的な問題意識に目覚め、そして中韓と在日という「敵」を発見した。扇動的な言説がある種の疎外感や被害者感情を持った人々に受け入れられやすいことは歴史がいくらでも証明している。そして、それが「真の敵」である必要がないことも歴史は教えている。彼らには自分の疎外感や不安を生み出すものが本当に中韓および在日であるかどうか確かめる必要すらなかった。どれだけ批判、糾弾しても許される敵の存在と、それを正当化する大義名分だけが必要だった。

 90年代後半につくる会が主張していた戦後価値意識の転換や日本人としての誇りといった問題は、ここではすでになんら関係のないものになっていた。

差別意識の現実化~ネットから現実へ(ゼロ年代後半)
 そしてゼロ年代も後半に入り、事態はよりいっそう悪化する。2002年前後からネトウヨという言葉が一般化し、在特会のような現実的な差別行動を起こす組織が現れてくるまで、マスコミ、言論人、高い給料もらってる大学人といった人々は、こうしたネトウヨという社会現象を批判することも、問題提起することすら全くなかった。根拠が不確かで扇動的なネットの情報から政治活動や言論に触れたものが段々多数を占めるようになれば、そこから現実に差別的言動を実行する組織が現れてくるようになるまでは、ほんの一歩だ。

 御用学者と御用言論人が跋扈する学会とマスコミの中では、本当の社会問題は容易に見過ごされていく。そして彼らが気付いた時には、ネットの中の差別感情は現実のものになっていた。ネットの言説をそのまま真に受け、現実に実行しようとする組織が実際に現れたのである。

 安田浩一氏の『ネットと愛国』は、こうしたネット右翼の言論の盛り上がりを背景に現れてきた在特会という組織に長期取材を敢行したルポタージュだ。
 在特会が現代日本の問題として重視したこととは、在日の人々が享受していると言われる特権であり、年金や生活保護受給に関する人種間の不公平さに関するものであった。国益や国家意識を問題にした本来の保守思想から比べれば、なんとも瑣末な問題にまで矮小化されたものだと感じるが、彼らにとって見ればこの問題こそが、最も切実なものに映るのである。
 彼らの言う在日特権は、自らの努力とは関係なしに、日本人の税金によって賄われ、享受しているものだということになる。日本人である自分達がこのような経済的、社会的不遇に甘んじるなかでこの不公平さは、許せないという感情が働くのだ。

 しかし、彼らの言う在日特権というものが、ほとんど実体のないものであることを安田氏は指摘している。在日特権とはアメリカでいうaffirmative actionに近いものだ。それが在日の人々が享受している「特権」として曲解され、一部の人々の間で問題視されることになった。だがそれは、affirmative actionや特権というものに関する全くの無知に基づくものでしかない。(もちろん一部で不正があることは確かだろう。また制度そのものも古く時代にそぐわない部分もある。しかし、それは個別の問題であって制度そのものの問題とは異なる。)このように在日特権は、もともと三流のタブロイド記事に基づいたネット上のうわさでしかないものだ。それがネットのなかで誇張され、いつの間にか実態とはかけ離れた巨大な社会問題へと仕立て上げられていった。ネットの中では誤った情報が修正されることなく、その誤った情報に基づいてさらに誤った情報が流布されるという悪循環が生じやすい。彼らの考え方と言うものがいかにネットのみに依存し、ネットの中でのみ自己完結したものであるかがよく分かる。正にネットの言説を鵜呑みにし、それだけの狭い視野の中で思考し、世間を全く知らないまま直情的に行動に移してしまう彼らの姿が窺える。

参考
在日特権 - Wikipedia
アファーマティブ・アクション - Wikipedia


在特会を生み出す背景
 しかし、もともと自らの経済的、社会的境遇が問題の根底にあるのだとすれば、なぜ彼らは労働問題や格差問題へと意識が向かないのだろうか。それは彼らがネットでしか情報を得ていないliteracyの低さが関わっている。ネトウヨの議論からは、労働問題や格差問題は見えてこない。また、保守派の言説では、経済格差は自己責任と言われて、それでおしまいなのだ。だが、自らの不遇が、誰かによる迫害の結果であるとすれば、自らの責任は容易に他者に転嫁することができる。本質的な問題の所在がつかめていない若者たちにとって、ネトウヨや保守派の言説は、結果的にスケープゴートを用意したのだ。分かり易い敵の存在は、本当の問題が理解できずに、何が原因か分からないまま自らの境遇を正当化し、自らのidentityを保とうとするときに必要とされる。彼らは、そのためには、というよりも、そのためにこそ、手近な敵の存在が必要だったのだ。 

 彼らの主張には、自分たちの置かれた境遇が如何に不遇であるかという思いが透けて見える。将来性の見えない自分の生活に苛立ち、不安を感じているのだ。安田氏は在特会の活動に参加する何人かの若者に長期取材を敢行することで、彼らのこのような心理を丹念に描き出している。彼らの主張の背後にあるものとは、やはり経済格差であり、将来性の見えない不安定な生活なのである。そして最も決定的なのが、社会から疎外されているという意識である。取材から浮かび上がってくるものとは、彼らの切実な承認欲求なのだ。社会から、他人から認められたいという承認への切実な思いがある。安田氏は、そうした若者たちに同情的な視線を注いでいる。在特会への最大の批判者であると同時に、最大の理解者にもなろうとしている姿勢がよく伝わってくる。誠実な人柄なのだろう。

 しかし、この著者は、在特会に関わる若者たちにあまりにも寄り添いすぎているようにも感じる。人間にはやはり越えてはいけない一線というものがあるはずだ。東京で最も大きな韓国街、新大久保に集団で繰り出して、「ちょんは出て行け、死ね」と大声で叫んでしまう精神は、もう常軌を逸している。聞くに堪えない差別用語を公共の場で連呼し、人々を挑発している。どんな理由があろうと人種差別的発言hate speechは、先進国においては社会的な生命を失うほどの罪だ。それを彼らは何の反省も自覚もなく、集団心理の中でやすやすと越えてしまう。そうした態度から窺える人間性とは、自らが苦境に立たされた時、それに対面する勇気を持たず、常に安易な逃げ道を探し回る類いのものだろう。どれほど彼らの置かれた状況というのが同情の余地あるものだとしても、決して許される行為ではない。そもそもこうした彼らの活動が世界に報道される度に、日本は相変わらず人権を理解しない国だと劣等国扱いされることにどれだけ思いが至ってるのだろうか。正に日本の恥以外の何物でもない。(もともと彼らに日本人としての誇りなど欠片もないのだろうが。)

 在特会へ関わる若者というのはその大半が底辺と呼ばれる経済的、社会関係的に疎外された状況にあるのは確かだろう。だが、たとえ彼らが異なる境遇に生まれていたとしても、こういった類いの連中とは、常に責任を他者に転嫁する安易な逃げ道を探っていたのではないか。結局、彼らというのは底辺に落ちるべくして落ちたとしか言えないのではないか。(私の生活だって超がつくほどの底辺だ!!文句言ってやりたい奴はいっぱいいる!しかし、それを中韓や在日の人々に向けるのは筋違いだ。格差を助長しているのは自民、経団連、保守派の連中だ! o(*≧д≦)o″)) プンプン)

 さて、この記事の最初の台詞に戻ろう。これは、この著書の冒頭で紹介されている在日朝鮮人の青年の一言だ。在日の人々が、たとえ一部であったとしても、このような受け止め方をしてくれていることにひとまず安堵を覚える。在日の人々の方が、はるかに地に足をつけた生活を送っているのだ。だからこそ、精神の余裕も生まれるのだろう。
 こんな在特会のような運動は、経済の停滞で低辺層と呼ばれる若者が増えたことを背景にしているだけだから、今後景気がよくなり、若者の生活が安定し始めれば、自然に下火になる、という意見もよく聞く。確かに、その通りだと思う。しかし、日本人とは、景気がよければバブルに浮かれ土地転がしに熱中し、不況になればなったで、人種差別的な言動でその憂さを晴らそうとする。民度の低い国民というのは、景気がよくても悪くても、ろくな結果にはならないものだ、とつくづく思う。

 90年代末頃からの保守思想の盛り上がりは、結局、日本人の民度を上げることになんら貢献しなかったのである。「日本人の誇り」が聞いて呆れる。われわれには、それでもまだ信ずべき日本というのは残されているのだろうか。