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読書亡羊

気ままに読書、気ままな読書日記

左右盲

方々日誌

 右と左の区別が咄嗟にはつかないこと、またはそのような人の、自称。
 色盲などといった既存の言葉から造られたただの俗語であり、このような病名や学術用語が実際にあるわけではない。

 ごく一般には、「右」「みぎ」「左」「ひだり」と言葉または文字で指し示されたとき、または、「右とはどちらか?」というような判断を求められたときに、それに呼応する方向を確定するまでの脳内処理に若干の時間がかかる様子を指す。- Hatena Keyword


 左右の判断が咄嗟にできない人のことを左右盲というらしい。左右に関して、全く判断ができないというわけではなく、咄嗟の判断が苦手だという点に特徴がある。
 現在の医学や脳科学の間では、左右盲は、病気や障害に分類されているわけではない。だが、脳の働き方が、通常と少し違うことは確かだと思う。

 左右盲は別に病気ではない。しかし、そのため、社会的認知や研究が遅れているのも確かだ。左右盲に関しては、ほとんど調査も研究もなされていない。症状の原因や実態も良くわかっていないし、この症状を持つ人がどれくらいいるのかも全然分かっていない。

 だが、こうした症状を持っている人は意外と多いみたいだ。まとめサイトにまとめが出てたりしていて、反響もかなり大きい。

matome.naver.jp


 私自身も最近、こうしたネット上の記事で左右盲について知った。

 実は、私も左右の判断が咄嗟には出来ない。左右を判断するのに多少の時間(数秒)がかかる。あるいは、冷静になって落ち着いて考えていれば、分かる。
 なので日常生活に支障があるわけではない。周りの人に気付かれることも、ほとんどない。しかし、いろいろと不便であることには変わりない。
 特に子供の頃、左右が分からないというのは、自分にかなりな引け目というか劣等感を植え付けることになった。誰かに話すのもみっともなかったので、誰にも相談しなかった。そして、人知れず自分で克服しようとして、自分自身でさまざまな訓練を試してみた。

左右盲の克服手段
 子供の頃、自分で試してみたのが以下のような方法だ。

 まずはよくある「箸を持つ方が右、お茶碗が左」という覚え方。実際、私の両親もそうやって左右について教えてくれた。私は、親の前では、いつも冷静に考えてから左右を答えていたので、私の両親は私の左右盲について全く気付いていなかった(おそらく現在でも)。
 しかし、やっぱり、咄嗟の判断になると混乱して左右を間違えてしまう。

 私自身は完全な右利きで、箸を左で使うことは絶対にない。実際に目の前に箸を出されれば、必ず右手で取る。目の前にある箸は、ほとんど何も考えないまま、瞬時に右手で取っている。にもかかわらず、右手はどちらか、と言われると不思議なことに判断に少し迷いが生じてしまう。箸を取る方が右だと完全に理解しているにもかかわらずだ。
 これは、「鉛筆を持つ方の手が右」という覚え方でも、結局同じだった。箸やペンは咄嗟の場合でも必ず右で取るのに、なぜか「右」と言われると咄嗟の判断が出来ない。

 次に試してみた方法は、右手と左手の間にある物理的(身体的)な特徴の差を利用するもの。
 私は左の手のひらに、ちょっと特徴的な手の皺があって、軽く握りこぶしを作ると指先でその皺を確認することが出来る。なのでその皺を確認できる方が左という覚え方だ。
 これなら箸やペンがなくても、軽く握りこぶしを自分で作れば確認できるので、どんな場合でも判断できる。だが、結局これも咄嗟の判断には何も役に立たなかった。握りこぶしを作ってみて、自分で皺を確認し、それから、あぁこっちが左か、と判断しているだけだから、時間をかけて冷静に判断しているときと全く同じだった。

 それで次に試した方法。地図を思い浮かべて、「東が右、西が左」と覚える方法だ。
 地図を見たとき、東と西はすぐに分かる。私の場合、東西を間違えることは絶対にないし、咄嗟の判断も何の問題もなく出来る。だから、頭に地図を思い浮かべて、「右が東、左が西」と覚えればいいじゃないか、と思いついたのだ。

 ところがだ。これがうまくいかない。たとえば、実際に目の前に地図があって、東がどちらかといわれたら、すぐに答えることが出来る。もちろん間違えずに。だが、同じ地図を見て、右がどっちと言われた途端、分からなくなるのだ。「東が右」ということは完全に覚えているにもかかわらずだ!
 もう、全く持って意味不明だ。結局、方向感覚に関して、左右に関してだけ混乱するのだ。もう自分でも訳が分からなくなってしまった。

 ここまで試してみて、もうあきらめてしまった。というか、もうほかに訓練する方法が自分では思いつかなくなってしまった。

*日常生活のなかの左右盲
 こうした訳の分からない症状があったために、自分はずっと、自分の脳に何か障害があって認知能力に何か欠陥があるのだと考えてきた。
 私の場合、左右の咄嗟の判断ができないというだけでなく、基本的に空間の認知能力自体に問題がある。空間を認識することが、そもそも苦手なのだ。だから、車の運転も全く持って下手糞だ。最近では、もう全く運転自体しなくなってしまった。おかげでゴールド免許だ。

 自分では脳に障害、あるいは欠陥があると感じてはいても、日常生活に問題があるわけではない。左右の判断に関しては、なるべく冷静になって考えるように努力すればよいだけだし、車の運転に関しては、運転しなくてもすむような生活を自分で選んでいけばよいことだ。すべて自分の工夫で克服できる問題だ。

 だが、日常生活に問題がないといっても、内心に不安を抱えているのは事実だ。人とは違うという劣等感にも悩まされることになる。
 だが、このような障害や病気と言うほどではなくとも、何か特徴的な症状を持っている人はかなり多いのではないかと思う。左右盲に限らず、脳の機能障害は、ときどき不思議な症状を見せる。

 たとえば、鏡文字などがそうだろう。鏡文字は、文字を反転させて書いてしまう症状で、レオナルド・ダ・ヴィンチなどがその症状で有名だ。
 鏡文字とは違うが、文書に記入する際に、その用紙を90度回転させて、文を書いている人を今までに二人見たことがある。不思議に思って、その内の一人に質問したことがあるが、その人は、こうしないと上手く文字が書けないんですよ、と言って笑っていた。脳内での文字の認識の仕方に、鏡文字と同じような何か特徴があるのだろうと、そのとき漠然と考えていた。

左右盲と脳の機能障害
 大人になってからは、こうした脳の機能障害についても、いろいろな知識がついてきて、脳の空間認知能力は、いろいろと不思議な症状を示すことがあるんだということが、だんだん理解できるようになってきた。自分が左右の判断が出来ないことも、こうした脳の不思議な症状の一つなのだろうと今では理解している。そもそも、東西が判断できるのに左右が判断できない、なんて自分で考えてみても完全に意味不明で、脳の認知能力の欠陥として理解するほか考えようがないからだ。

 しかし、最近になって左右盲という言葉があることを知った。自分の症状に名前があることを知るのは、その症状に悩んでいる人にとっては、非常な救いになる。
 自分もこの言葉を見つけたときは、あぁ、自分が悩んでいたのはこれだったのか、という何か安心感みたいなものがあった。(だから精神療法なんて病名を付けるのが仕事みたいなもんだ。だからどんどん病名が増えていく。)
 もちろん、これで症状が無くなる訳でも、問題が解決する訳でもなんでもないのだが、訳も分からず悩んでいるよりはよっぽど良い。しかも、同じような症状を持つ人がいるということが分かるだけでも、気分的にはずいぶんと違う。

 ともかく、この言葉を知ったことは自分にとっては、非常に意味があった。
 いろいろ左右盲について調べてみると、発達障害の一症状と考えている専門家もいるようだ。左右盲が空間の認知能力に関連していることは確かだろうが、さらに計算能力にも関連があると指摘している人もいる。確かに、私も暗算が苦手で、簡単な計算も暗算で行うと時間がかかってしまう。学生時代、数学は大の苦手だった。

 左右盲が空間認知だけでなく計算能力にまで関わっているのが事実だとすれば、発達障害との関連もありえなくはないと思う。だが、左右盲発達障害の一つなのかどうかは、もちろんまだ確かなわけではない。そもそも、まともな研究自体が行われていないのだから、今の時点で分かるわけがない。
 今後、左右盲に関する研究が進んで、社会的認知が広がることを期待したい。

*追記
 しかし、それにしても自分は、病気とまでは言えない範囲で、精神やら身体やら、脳なんかに、いろいろと障害があるもんだ。どうして、こうも欠陥だらけなんだか。周りから気付かれにくい分だけ、自分としては、やたらとしんどい。ほんと、因果な星の下に生まれたもんだ(泣)。

 そういや、自分の政治的な意見も、右っぽかったり、左っぽかったりで、どっちなんだかよく分からんな。政治的にまで左右盲だわww